2015年09月09日
奄美・琉球の世界自然遺産登録遅れ 18年以降の公算
心配される政治の介入
奄美大島、徳之島、沖縄本島、西表島の4島からなる世界自然遺産「奄美・琉球」の登録目標が、また1年先送りされた。2003年にともに推薦候補に挙がった「知床」(北海道)、「小笠原諸島」(東京)は既に登録されているのに対し、「奄美・琉球」は12年を経た現在も迷走を続けている。その課題とは・・・
【チェックしてほしい記事はこちら】
・西表島の66%推薦 世界自然遺産「奄美・琉球」区域案(沖縄タイムス9/8)
・奄美・琉球の世界自然遺産登録遅れ 18年以降の公算(琉球新報9/3)
・世界自然遺産登録へ沖縄本島北部のエリア案判明 米軍訓練場は含まれず(沖縄タイムス9/2)
・世界自然遺産登録へ協力要請 国頭、東の両村長が菅氏に(琉球新報8/29)
・世界遺産生かし地域振興 自民沖縄、鹿児島議員結束(琉球新報7/1)
・希少生物守ろう 国頭村 安田区、独自に規則(琉球新報2014.4/3)
【関連記事】
(2013.2.1) 「奄美・琉球」世界自然遺産へ 暫定リスト記載
(2013.1.31) 世界自然遺産暫定リスト 「奄美・琉球」 きょう記載
(2013.1.31) 「奄美・琉球」暫定リスト入り決定 世界自然遺産
(2003.5.27) 喜びと期待の県内関係者/「世界自然遺産」候補に琉球諸島
(2003.5.27) 琉球諸島「世界自然遺産」候補に
(琉球新報2011.7/29)
2015年06月21日
テンチジアマチジ(今帰仁城跡)とクバの御嶽が国の名勝に指定
国の文化審議会は、今帰仁村の「今鬼神(なきじん)ノカナヒヤフ(テンチジアマチジ)・こはおの御嶽(クバの御嶽)」などをこのほど新たに国の名勝に指定しました。
今帰仁城跡の中にある「今鬼神ノカナヒヤフ」と城跡の南に近接する「こはおの御嶽」は、ともに琉球の開びゃくの神、アマミクが造ったとされる御嶽(うたき)で、琉球王国時代、王族の健康や五穀豊穣を祈願した神聖な場所として保たれてきました。
【チェックしてほしい記事はこちら】
・今帰仁と南城市で名勝指定 (琉球朝日放送のニュース映像6/20)
・今帰仁と南城市で名勝指定 (琉球放送のニュース映像6/19)
・国名勝・天然記念物、沖縄から3件新指定 (沖縄タイムス6/19)
・国名勝に県内3カ所指定、天然記念物も1件 文化審議会が答申 (琉球新報6/20)
今帰仁城跡の中にある「今鬼神ノカナヒヤフ」と城跡の南に近接する「こはおの御嶽」は、ともに琉球の開びゃくの神、アマミクが造ったとされる御嶽(うたき)で、琉球王国時代、王族の健康や五穀豊穣を祈願した神聖な場所として保たれてきました。
【チェックしてほしい記事はこちら】
・今帰仁と南城市で名勝指定 (琉球朝日放送のニュース映像6/20)
・今帰仁と南城市で名勝指定 (琉球放送のニュース映像6/19)
・国名勝・天然記念物、沖縄から3件新指定 (沖縄タイムス6/19)
・国名勝に県内3カ所指定、天然記念物も1件 文化審議会が答申 (琉球新報6/20)
2015年05月12日
尚家の国宝 宝刀「千代金丸」 公開

琉球王朝時代から尚家が代々受け継いだ貴重な刀が、2014年の補修を終えて以来初めて、一般に公開されています。
那覇市歴史博物館に展示されているのは、15世紀から尚家に伝わる宝刀「千代金丸」など、国宝に指定されている3本です。
尚家に代々伝わる刀は20本ほどありますが、なかでも、15世紀に、北山王から中山の尚家に渡ったとされる「千代金丸」は、尚家が琉球の三山統一を進めていた時代の貴重な資料で、2014年、専門家によって補修され輝きを増した実物を見ることができます。
尚家の宝刀展は5月27日までです。 http://www.qab.co.jp/news/2015051165917.html
国宝宝刀「千代金丸」は期間内しか見ることができませんが、2014年の補修に合わせて作られたレプリカは今帰仁村歴史文化センターで常設展示しておりいつでも見ることができます。
今帰仁村歴史文化センター tel 0980-56-3201

2014年11月26日
連載「水中に眠る文化遺産」
来年1月18日まで県立博物館・美術館で
博物館特別展「水中文化遺産 ~海に沈んだ歴史のカケラ~」
博物館特別展「水中文化遺産 ~海に沈んだ歴史のカケラ~」

詳細はこちら



沖縄の近海を舞台にした水中考古学の最前線を紹介。沖縄の海は歴史の宝庫だった! ヨーロッパの沈没船、中国陶磁器、和船の碇石、沖縄の壺屋焼など、沖縄近海に沈んでいる「水中歴史文化遺産」から沖縄・琉球の歴史が浮かびあがる。
沖縄の海を舞台にしたはじめての水中考古学の本です。
<続きを読む>
http://www.borderink.com/?p=14357
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(沖縄タイムス11/24)


(沖縄タイムス11/25)
【関連する日記アーカイブ】
2012.11.06 連載「琉球列島史“発掘”」⑭片桐千亜紀『沖縄海域沈没船遺跡』
2014年04月20日
連載「DNAで考える 沖縄の祖先たち」≪完≫
沖縄の人々のルーツを探るDNA研究が進められている。石垣島の白保竿根田原遺跡から出土した人骨を分析している国立科学博物館の篠田謙一さんに、最新の調査結果をまとめてもらった。
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(琉球新報4/14)


(琉球新報4/16)


(琉球新報4/17)


(琉球新報4/18)
2013年05月06日
連載「節日(シチビ)ありんくりん」⑱神仏を拝む人々(ノロほか)
沖縄の祭祀は基本的には女性が祭祀権を握っています。
その代表的なものがノロであり、ツカサであり、クディングヮ(コデ)、根神(ニーガン)・根人(ニーッチュ)です。
その代表的なものがノロであり、ツカサであり、クディングヮ(コデ)、根神(ニーガン)・根人(ニーッチュ)です。

(沖縄タイムス5/6)
2013年04月07日
連載「節日(シチビ)ありんくりん」⑰清明祭(シーミー)
シーミーは中国から伝わった二十四節気の一つ「清明」(旧暦の3月)の期間に、先祖のお墓に一家が集まって行われる祖先供養の行事です。
今年のシーミー入り(清明節の最初の日)は新暦の4月5日で、きょうの日曜日には今帰仁村内でも、重箱に詰めた料理や線香、お花をお供えしてご先祖様を供養する姿が見られました。


これをうちなーぐちバージョンでいうと

これを英語バージョンでいうと
今年のシーミー入り(清明節の最初の日)は新暦の4月5日で、きょうの日曜日には今帰仁村内でも、重箱に詰めた料理や線香、お花をお供えしてご先祖様を供養する姿が見られました。

(沖縄タイムス4/1)

(琉球新報4/4)


(沖縄タイムス4/7)

これをうちなーぐちバージョンでいうと

これを英語バージョンでいうと

2013年03月15日
連載「節日(シチビ)ありんくりん」⑯土帝君(トーティークン)
沖縄の祭祀では石や香炉を拝んでも偶像(神像や仏像)は拝みません。ただ中国から伝わった中国の神様の一つである「土帝君」は直接神様の姿が見える数少ない例です。
「土帝君」をお参りするのは中国では旧暦の2月2日と8月15日が多いようですが沖縄では2月2日が中心となっています。今年は3月13日が旧暦の2月2日にあたります。
下にあるスクロールバーを左右に動かしてお読みください
3/17追記
「土帝君」をお参りするのは中国では旧暦の2月2日と8月15日が多いようですが沖縄では2月2日が中心となっています。今年は3月13日が旧暦の2月2日にあたります。
下にあるスクロールバーを左右に動かしてお読みください

(沖縄タイムス3/3)
3/17追記

(沖縄タイムス3/17、記事原文はこちら)
2013年03月01日
あす、琉球伝統競馬(ウマ ハラセ-)が復活
賞味期限:1月15日午前零時
2014.1/14追記

(琉球新報1/14)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
沖縄には、かつて世界に類がない、
走りの美しさを勝負する競馬があった……
沖縄の在来馬は、長い年月、人々の生活に近い場所でともに暮らし、作業の役割だけでなく、供犠、祭祀、催事に大きく関与してきた大切な生き物だった。その在来馬の重要性は単に経済的尺度のみではなく、耐病性、耐暑性などの遺伝資源としての重要性、体躯の大きさ、走り方など人間社会との関係からの文化資源としての重要性があげられ、沖縄の地域で成立した他では見られない馬となっている。
沖縄には琉球王朝の時代から世界に類を見ないスタイルの競馬が連綿として続いてきた。現在の競馬が多頭数によるタイムを競うスピードレースとすると、この琉球伝統競馬(ウマハラセー)は華麗な装飾を施された2頭の馬が「走りの優美さ」を競うものだった。その馬場の跡が現在も県内各地に残されている。
現在も季節行事として、また県民の娯楽として続けられている「闘牛」とはちがって、この琉球伝統競馬は1943年を最後に途絶えてしまった。
3月2日と10日、沖縄こどもの国で70年ぶりに復活する。



(琉球新報3/1)


(沖縄タイムス2/28)

琉球新報2/28)

琉球新報3/1)

梅崎晴光著
四六判 344頁
1890円
2012年11月21日発行
■著者プロフィール
梅崎晴光(ウメザキハルミツ)
東京・高円寺生まれ。86年、スポーツニッポン新聞(スポニチ)入社。90年からJRA中央競馬担当。
琉球・沖縄で行われていた競馬は「馬追」(ンマウーイ)「馬勝負」(ンマスーブ)などと呼ばれて、宮古馬などの小柄な沖縄在来馬が、速さを競うのではなく、足並の美しさを競った優雅な競馬である。馬具に華麗な装飾を施し、直線走路で美技を競い合う独自のスタイルが、琉球王朝時代から戦前まで約三〇〇年間、連綿と受け継がれて、沖縄人・ウチナーンチュを熱狂させた。昭和初期には、「ヒコーキ」という不世出の名馬が琉球競馬の頂点に立ったと伝えられる。だが今、その詳細は、どこにも明かされていなかった。何故、琉球の競馬は消えてしまったのだろうか? 名馬「ヒコーキ」はいずこへ……。
現役の競馬記者が沖縄各地の馬場跡を訪ね歩き、沖縄人も忘れ去った歴史と文化を掘り起こしたノン・フィクション! 沖縄の近代史を駆け抜けた琉球競馬の世界が蘇る!(ボーダーインク社HPより)
目次
プロローグ 10
第一章 幻の琉球競馬
琉球競馬との出合い/平良真地の大競馬/琉球競馬とは/独特な走り方/競馬の仕組み/沖縄の馬場/最後の名馬「ヒコーキ」
第二章 山原、中頭馬場巡り
蔡温がたたえた馬勝負― 今帰仁/在りし日の今帰仁の競馬 /ヒンプンガジュマルは馬場だった―名護/馬所読谷の宮古馬/琉球競馬の名人・屋良朝乗―読谷/馬場は基地の中―嘉手納、北谷/歴史に翻弄された松並木―宜野湾
第三章 琉球競馬の歴史
琉球馬の進貢/琉球競馬の記録/琉球競馬の背景/農民の競馬/馬の事件/馬の商売/伝説の名馬 野国青毛と仲田青毛/二つの馬の絵画の謎/琉球競馬の伝道者
第四章 那覇、首里馬場巡り
馬主必勝祈願―上間/古波蔵の祝賀競馬/潟原の馬場/ジュリ馬スネー/新暦の行事として行われた競馬/蘇ったいにしえの馬場―識名/首里八景の御料馬/首里城の群馬
第五章 島尻馬場巡り
王朝から拝領された馬場―具志頭/フェアウェイになった馬場―玉城/伝説の調教師・松嘉那―南風原/古戦場だった馬場―大里/三山時代から続いた馬場―豊見城/「陸のハーリー」―東風平/糸満馬場巡り
第六章 琉球競馬の終焉
「ヒコーキ」のしっぽが見えた……か/高級住宅地になった馬場―北中城/十五夜の馬勝負―胡屋/ブリュンマの風俗画―石川/琉球競馬の終焉/琉球馬の最期
第七章 「ヨドリ与那嶺小」と「ヒコーキ」が歩んだ道
「ヨドリ」の謎/遺念火の出た馬場―具志川/ヤナムンの出た馬場―知花/知花の花織/ついに分かった「ヨドリ」の意味/ミツさんの思い出/ 「ヨドリ与那嶺小」の歴史/沖縄を駆け巡った「ヨドリ与那嶺小のヒコーキ」/消えた「ヒコーキ」/「父のかけがいのない宝物…」/ようどれから平良真地へ
番外編 島々の名馬ものがたり 伊江島、石垣島、宮古島編
伊江島 波瀾万丈!マーパラシェ/戦時下の馬/戦後の歩み
石垣島 赤馬の時代/馬行事/希代の快速馬と「馬のタン」
宮古島 人頭税廃止と競馬/ヌーマピラス/伝統を受け継ぐ宮古馬/名馬「恒雄コーザ」
3/3追記

(琉球新報3/2)

(沖縄タイムス3/3、記事原文はこちら)

(琉球新報3/3、記事原文はこちら)
動画はこちらで見られます

「琉球競馬」70年ぶりの復活 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130302/k10015906761000.html
3/10追記

(琉球新報3/7)

(琉球新報3/8)

(琉球新報3/9)
3/11追記

(沖縄タイムス3/11)
3/12追記

(沖縄タイムス3/12)
3/17追記

(琉球新報3/17)

(琉球新報3/17)


(琉球新報3/17)

(琉球新報3/17)

(琉球新報3/17)
7/9追記

(琉球新報7/9)

(沖縄タイムス7/9)
7/10追記

(琉球新報7/10、記事原文はこちら)
続きを読む
2013年02月12日
「沖縄文化研究38」(法政大学沖縄文化研究所編、2012年3月)
屋嘉比収さんがなくなって2年余りの月日が経つ。沖縄近現代史研究に心血を注ぎ、現在の沖縄をめぐる諸問題に積極的な発言を行ってきた思想家・屋嘉比収について、今こそわたしたちは「学びなおす」必要があると思う。その入門書として最適なのが「沖縄文化研究38」(法政大学沖縄文化研究所編、2012年3月)だ。


(沖縄タイムス2/6)

「沖縄文化研究38」(法政大学沖縄文化研究所編)
【目次】
論文
奄美諸島の系図焼棄論と『奄美史談』の背景
-奄美諸島史把握の基礎的作業- 弓削 政己
系図をつなぐ
-屋取集落の士族系門中による系図作成の実例- 武井 基晃
儀礼の変化と女性神役
-石垣島川平の事例- 澤井 真代
琉球王国一五世紀中期以降の畿内制的な特徴と王城儀礼
-官人組織と王城儀礼の変遷- 真喜志 瑶子
特集・追悼 屋嘉比 収
屋嘉比 収 略年譜・主要著作
【追悼文】
二人のあいだの「不義理」と「約束違反」 新川 明
痛覚から築く人文・社会科学
-屋嘉比 収さんの生の在りよう- 鹿野 政直
屋嘉比 収君のこと 新崎 盛暉
「当事者性」の獲得を目指して 比屋根 照夫
現場に立つ 仲程 昌徳
【書評】
ラディカルな沖縄の〈当事者〉
-屈折するインテグリティと沖縄戦後史プロジェクト- 阿部 小涼
学問への姿勢
-屋嘉比 収著『〈近代沖縄〉の知識人―島袋全発の軌跡』から学ぶ- 藤澤 健一
【論文】
「琉球処分」論と歴史意識 大里 知子
米軍占領期における「国民」/「外国人」という主体編成と植民地統治
-大東諸島の系譜から- 土井 智義
越境者たちの復帰運動
-一九五〇年代前半における在日本沖縄人学生の組織と意識- 戸邉 秀明
琉球大学における表現と検閲
-一九五〇年代『琉球大学学生新聞』を中心に- 我部 聖
聴く思想史
-屋嘉比 収を読みなおす- 新城 郁夫
【関連する日記アーカイブ】
2010.10.01 訃報 若き沖縄のオピニオンリーダー 屋嘉比収さん 逝く
2013年02月08日
渡辺美季氏に第40回伊波普猷賞
沖縄文化や学術振興に寄与した研究や著作へ贈られる第40回伊波普猷賞に渡辺美季氏の「近世琉球と中日関係」(吉川弘文館)が選ばれた。
渡辺氏は今帰仁村が主催する「グスクガイド養成講座」の講師を務めるなど今帰仁村とも関係が深く、研究論文の一部を私たち「今帰仁グスクを学ぶ会」の会誌に何度も寄稿していただいている。
・毛維基の生涯 ―「山北今帰仁城監守来歴碑記」の文字を書いた人物― (会誌1号、2007年7月)
・向鳳彩(今帰仁朝季)の生涯 ―具志川家・黄金時代の先駆け― (会誌2号、2008年7月)
・出土印章から見えるグスク (会誌3号、2009年7月)
今回の受賞作「近世琉球と中日関係」が描き出す琉球の姿、2大国の「狭間」で舵を取り続けた国家の姿は今日の沖縄や日本を考える上で示唆に富んでいる。
渡辺氏の琉球史研究の情熱がこのような形で高く評価されたことを喜びたい。


近世の琉球は、日本と中国の〝狭間〟にあって、どちらにも包摂されない特異な地位を維持した。琉球をめぐる徳川幕府と明清政府との支配秩序の中で、双方を仲介・調整しつつ、自国の安定化を志向する国家運営はどのようにして展開されたのか。その外交実態や意識構造を探り、琉球固有の歴史的意義を東アジアの国際環境の中に位置づける意欲作。(吉川弘文館HPより)
著者 渡辺 美季 著
出版年月日 2012/05/17
判型・ページ数 A5・328ページ
定価 本体10,000円+税
目次
序章 研究の動向と関心の所在
狭間の形成(琉球人か倭人か―16世紀末から17世紀初の中国東南沿海における「琉球人」像―
〈五つの誤認事例 「琉球人」か「倭人」か―判断するということ― 「琉球人」か「倭人」か―判断される人々―〉
以下細目略
琉球侵攻と日明関係(近世琉球と明清交替)
狭間の運営(中日の支配秩序と近世琉球―「中国人・朝鮮人・異国人」漂着民の処置をめぐって―
近世琉球における漂着民の船隻・積荷の処置の実態―中国と日本の狭間で―
近世琉球と「日本の国境」―唐人証文の分析― 清に対する琉日関係の隠蔽と漂着問題)
狭間の思想(近世琉球の自意識―御勤と御外聞―)
終章 近世琉球と中日関係
2/20追記

渡辺氏は今帰仁村が主催する「グスクガイド養成講座」の講師を務めるなど今帰仁村とも関係が深く、研究論文の一部を私たち「今帰仁グスクを学ぶ会」の会誌に何度も寄稿していただいている。
・毛維基の生涯 ―「山北今帰仁城監守来歴碑記」の文字を書いた人物― (会誌1号、2007年7月)
・向鳳彩(今帰仁朝季)の生涯 ―具志川家・黄金時代の先駆け― (会誌2号、2008年7月)
・出土印章から見えるグスク (会誌3号、2009年7月)
今回の受賞作「近世琉球と中日関係」が描き出す琉球の姿、2大国の「狭間」で舵を取り続けた国家の姿は今日の沖縄や日本を考える上で示唆に富んでいる。
渡辺氏の琉球史研究の情熱がこのような形で高く評価されたことを喜びたい。


(沖縄タイムス2/8)

近世の琉球は、日本と中国の〝狭間〟にあって、どちらにも包摂されない特異な地位を維持した。琉球をめぐる徳川幕府と明清政府との支配秩序の中で、双方を仲介・調整しつつ、自国の安定化を志向する国家運営はどのようにして展開されたのか。その外交実態や意識構造を探り、琉球固有の歴史的意義を東アジアの国際環境の中に位置づける意欲作。(吉川弘文館HPより)
著者 渡辺 美季 著
出版年月日 2012/05/17
判型・ページ数 A5・328ページ
定価 本体10,000円+税
目次
序章 研究の動向と関心の所在
狭間の形成(琉球人か倭人か―16世紀末から17世紀初の中国東南沿海における「琉球人」像―
〈五つの誤認事例 「琉球人」か「倭人」か―判断するということ― 「琉球人」か「倭人」か―判断される人々―〉
以下細目略
琉球侵攻と日明関係(近世琉球と明清交替)
狭間の運営(中日の支配秩序と近世琉球―「中国人・朝鮮人・異国人」漂着民の処置をめぐって―
近世琉球における漂着民の船隻・積荷の処置の実態―中国と日本の狭間で―
近世琉球と「日本の国境」―唐人証文の分析― 清に対する琉日関係の隠蔽と漂着問題)
狭間の思想(近世琉球の自意識―御勤と御外聞―)
終章 近世琉球と中日関係
2/20追記

(沖縄タイムス2/20)