2012年10月17日
「琉球列島史“発掘”」⑨新里亮人『狩猟採集から農耕の時代へ』
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12/21追記
(沖縄タイムス10/1)
12/21追記
「2012年度沖縄研究奨励賞」(沖縄協会)に新里亮人氏
~「『古琉球』形成過程に関する考古学的研究」~
(琉球新報12/21)
2012年06月14日
和歌と琉歌
琉歌は和歌に対する言葉で
中国から伝わった詩(唐歌)に対して倭歌(大和歌)を和歌と言ったように
和歌が琉球に伝来すると琉球の歌を「琉歌」と言って和歌と区別した。
和歌は「詠む歌」で、琉歌は「謡う歌」で、中国の楽器「三弦」が福建から琉球王朝に渡った(14世紀説と15世紀説がある)後は「三線」に合わせて歌われ、舞踊も伴った。
一口に琉歌といっても短歌(8886)の他に長歌・仲風・口説(くどち)・つらねもある。
大衆が詠んで世間に流布した琉歌は素朴で明るいのに対し
和歌を嗜んできた上層階級が詠んだ琉歌は、知的で技巧的洗練されている。
中国から伝わった詩(唐歌)に対して倭歌(大和歌)を和歌と言ったように
和歌が琉球に伝来すると琉球の歌を「琉歌」と言って和歌と区別した。
和歌は「詠む歌」で、琉歌は「謡う歌」で、中国の楽器「三弦」が福建から琉球王朝に渡った(14世紀説と15世紀説がある)後は「三線」に合わせて歌われ、舞踊も伴った。
一口に琉歌といっても短歌(8886)の他に長歌・仲風・口説(くどち)・つらねもある。
大衆が詠んで世間に流布した琉歌は素朴で明るいのに対し
和歌を嗜んできた上層階級が詠んだ琉歌は、知的で技巧的洗練されている。
(琉球新報6/12)
2012年04月21日
アブシバレー
田と田の間の境にある土を盛り上げた所(本土では「畔・あぜ」)を沖縄では「アブシ」という。
かつて県内の多くの農村においては、田植えの後の旧暦4月14日と15日に「アブシ」の草刈りを行い、害虫が遠くの地に立ち去って再び戻ってこないようにと祈願する「アブシバレー」という虫払いの伝統行事が行われてきた。
しかし昨今では農薬の使用や作物の変化などによってほとんどの農村においてこの「アブシバレー」という行事は行われなくなった。
かつて県内の多くの農村においては、田植えの後の旧暦4月14日と15日に「アブシ」の草刈りを行い、害虫が遠くの地に立ち去って再び戻ってこないようにと祈願する「アブシバレー」という虫払いの伝統行事が行われてきた。
しかし昨今では農薬の使用や作物の変化などによってほとんどの農村においてこの「アブシバレー」という行事は行われなくなった。
(琉球新報4/6)